投薬治療
我が家では、花王の「にゃんとも清潔」という猫用システムトイレに、ウサギ用のひのきチップを水増しして使っている。ウサギ用の方が安い上に(楽天のCharmで7㍑1100円)何となく消臭効果がありそうな気がするからだ。最近、このCharmで猫用の安い砂を見つけたが…。
そのトイレ砂に二種類のうん○が存在する。
それは、丁寧に砂をかけられしっかりと中に埋まったヤツと、
ぽてんと乗ってるヤツの二種類だ。
ほとんど猫たちと同じくらい在宅しているひげ兄が「ルツちゃんは砂をかけてない」と証言していて、それは在宅時間が長い分だけ信用性があると感じられた。
猫にはあるまじき警戒感のない、処理の甘いルツちゃんのうん○に
時々赤い血のようなモノが付いている。
生理が始まったのかな…と早合点した私に、「猫は生理に出血ないんだって」とネットで調べたひげ兄。
そういったことが続くので、近くの動物病院で看てもらった。
すると、ドクターが「新鮮なうん○がないとなんとも言えないが、とりあえず…」と出してくれた整腸剤と抗菌剤を、この一週間、毎日2回飲ませている。
朝は忙しいのに。
投薬のコツもつかめてきた頃、うん○の様子も変わってきて、
「ああ、薬ってありがたいなぁ」と
風邪で通院して、PL配合顆粒を処方してもらった時のように、
安堵感がひたひたとやってきた。
しかも「この子はお利口で、薬を口に入れても嫌がりませんね」と投薬の仕方を手本で示した時に、ドクターが言った一言が私の心をくすぐり…
「この子はお利口」というところだけリフレインをつけて、何回も何回も脳裏に蘇ってくるのが、くすぐられているように可笑しくて、嬉しい。
完全に猫親バカになっている。
嫌うのはなぜ?
約二週間先に来た、お兄さん猫のミネット君は、食がよくすくすく育って、もう子猫とは思えないほどの大きさである。
性格的にも飼い主に忠実で、好奇心も強く、人間が「ダメ」ということはよく分かっている様子である。
でも、目を盗んでカウンターキッチンに乗っているが。
しかし、この子は何故か?私のことを嫌っている。
それは、私が朝の七時に出勤し、夜の八時過ぎに帰宅する…というように、一日の大半、家を空けているから、外の人と認識しているからかもしれないし、
ひげ兄はほぼほぼ家にいるので、この家の主は、浪人生の彼だと思っているのかもしれない。
そこで私は、やっと、世のお父さんの嘆きの真意を知ることになる。
「おまえ、誰の稼ぎで喰ってると思ってるんだ!」と猫に言ってもむなしいものだが、
ミネちゃんは
「僕たちには僕たちの時間の流れがあるんだ」と言わんばかりの凜々しい風情である。
で、私は隙を見て無理矢理ミネちゃんをだっこしたり、あえて無視してルツちゃんをかわいがってみたり、おやつで気を引いてみたり・・・と中年男性が、妻や愛人に振り回される醜態を、猫を相手に演じている。
なんで嫌われているのかなぁ~。
掃除機を怖がっている勢いで、私にも心を開けないのかなぁ。。。
こんな風にゆったりと過ごしているのは、ルツちゃんやひげ兄と一緒にいるときだけ・・・。
なるか?猫ウサギ
昨日の夜、凄い瞬間をとらえてしまった。
もしかしたら、新種の生物が誕生する原因になるかもしれないし、
新種の生物を発見&飼育なんていうことで、我が家が有名になるかもしれない。
ほ乳類の進化の途中に一石を投じることになるかもしれない。
と、言うのも…3歳牡ウサギのいのちゃんが
うら若い乙女猫のルツちゃんに
襲いかかっていたからだ。
そして呆気なくふられる。
ふだん無口なルツちゃんが「にゃんっ!!」と抗議の声を上げていたが、
それは直訳すると「ざけんなよ、この変態やろう!!」だと、私は直感した。
しかし、こういう場面が二回ほどあったから、数ヶ月後には猫ウサギなる
可愛い生き物が誕生しているかもしれない。それは、それで
(上記のようなことになるかもしれないと、)楽しみなことでもある。
切り込み隊長ルツ
猫ってここまで人の気持ちが分かる生き物なのか~!と、ホントに凄いと思う。
なぜなら、ひげ兄が「猫を飼いたい」と言ったとき「じゃ私も」と乗り、キャットネットさんが兄オスと妹メスを指定したとき、「こっちはひげ兄ので、こっちはおかーさんの猫ね」と言っていた分担が、ちゃーんと伝わっている。
ミネちゃんは、ひげ兄にすべてを預けるようにして甘えるくせに、私にはごはんの時間しか甘えてこない。ミネちゃんは、好奇心が旺盛で、ヒトのやることをじーっと見ている。人の世界を感じるアンテナが高くて頭がいい。そして、臆病で用心深い。掃除機を最も恐れている。
ダイニングテーブルやキッチンカウンターに乗ると怒られることが分かっていて、
私がいるときには絶対にしない。(いないときには乗ってるけど)
ひげ兄は「こいつは自分に似ている」と言っている。
その点、ルツちゃんはちょっと図太いのか、掃除機もそんなに怖がらないし、食事中もテーブルに乗ろうとして、払われても払われてもやってくる。お腹が空けばキッチンをウロウロして、何かが入っている袋をズタズタにしてしまう。
私がメロメロで、本気で怒ってないことを、どこかで感じているに違いない。
料理中にカウンターに乗ってくるし、食事中に膝の上に乗ろうとするし、押し入れにも入ろうとする。「ダメだ」って言われても、隙あらばだま~ってどんどん、どんどん、入り込んでくる。黙って自分のやりたいことをやっている。
いつの間にか私の膝でゴロゴロ言うようにもなっていて、人懐っこいところもある。
ヒトと同じで、メスの方が逞しいのか?「切り込み隊長ルツ」と命名。
しかし、本当のところは、私たちの方が悩殺されていて、
自分の性格を投影しているだけなのかもしれない。
『チョコレート・ドーナッツ』
『チョコレート・ドーナッツ』DVDを見て
「もし、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないのなら、私には何の値打ちもないのです。
そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また、よい知らせをのべ伝えるために火あぶりの刑に甘んじても、愛がなければ、何の値打ちもありません。」
コリント人への手紙13の2~3
というパウロの言葉が思い起こされた。
口パクで歌いオカマショーで日銭を稼ぐルディ。
同性愛を隠して暮らす弁護士のポール。
ルディの隣の部屋の麻薬中毒の母親に愛されていない、ダウン症の少年マルコ。
この三人の愛情あふれるヒューマンなドラマで、社会のマイノリティに属する人の愛と哀しさと素敵さが胸を打つ。
建前の法律を振りかざす判事や裁判官が、パリサイ的で白く塗られた墓のような偽善者として写る。
ポールの最後の手紙は淡々として、悲しくて切ない。
ルディは最初の方は只のオカマだったのに、マルコを我が子のように愛して、
戦い破れた悲しい体験をした後、エンディングの歌うシーンでは、
風格のあるシンガーとして人の心を揺さぶるような愛の歌を歌う。
たった一年という短い期間だけれど、三人の愛情と絆を感じると、
何々だからいい…とか、何々だからダメで生きる意味がないとか、
そういうんじゃないと実感する。そして、冒頭の愛
この愛と喪失によって、ルディもポールも、人として大きく深い生き方をするようになっていくのだと思った。マルコは、ダウン症で知的障害があっても、二人に大きなものを与えた生だったのだと思う。
真夜中の踏切台
ある晩、夜中にふと目覚めたら、膝の内側の皮膚に鋭い痛みがあった。
その痛みと、夜型生活の浪人生の物音で目が覚めたのだと思う。
まだ夜中の三時で、もうろうとするほど眠かったので、そのまま強引に眠りに戻ったが、意識が溶けていくまでの数秒間で、私は確信した。
二匹で追いかけっこをして走り回った時に、私が寝ている和室にも飛び込んできて、私の上を飛び越え、飛び越えついでにジャンプ台のように強く蹴って、その反動でまた走り回ったのだ。
大股を開いた寝相の悪い私の膝の横が、猫の踏切地点になってしまったのが、この痛みの理由なのだと。
確信しながら、今度はしっかりと秋用の薄がけをかけて寝直した。
猫との生活では、和室での大股開きの熟睡は、危険なことがある…ということを学んだ。
淡路屋のストロングゼロ
近所に淡路屋という酒屋があって、そこは昔懐かしい昭和の臭いがする出で立ちで、お酒やお米やスナック類が並べられている。たぶん、頼まれれば配達もするのだろう。エプロンをした親父さんが出たり入ったりしている。
コンビニやディスカウントストアの波に、とうに押し流されてしまいそうな…
古くさくてか弱い、地方にある酒屋の風情を漂わせている。
店内の棚は経済統制の国のようにたっぷりと空いている。
一見時代に取り残されたような感じがするが…その店が凄いのは
客が店内で勝手に飲み食いしていいことと
客同士の会話がとても居心地がいいことだ。
かくいう私も、その客の一人に誘われて行ったのだが、通りすがりに見過ごしそうな、ありきたりでかすんだ店構えの奥に、地域の人との心温まるふれあいという…何物にも代えがたい宝を秘めているのだった。
気分はこんな感じ♪
レジのカウンターの横に置かれた機械から出て来た280円の生ビールを楽しみながら、ビールをさり気なくおごってくれた人に、棚に置かれたカレー味のえびせんを210円で購入し、おつまみにしながら歓談する。
店内を見回し、前のお客が置いていったという段ボールの古本と、新入荷の純米大吟醸の新入荷にときめくことしきり!!!
作業服を着た常連さんから、近所に銭湯があって、その帰りにここで生を飲むのが格別だという話を聞き、酒飲みの琴線をわしづかみにされた。他にも「これおつまみに」と漬け物みたいなのを、手料理で持ってくるお客さんもいるらしい。
素晴らしい!
私はこの日、ストロングゼロにトリスとテキーラを入れて飲むと美味しいということを教えられ感動し、今夜はそれを自宅で試しているが、場所は変わっても美味しいモノは美味しいのだと…半分酔ってぼけた頭で感じている。
淡路屋はお客の、安価に酔いたいという希望に極力寄っていて、
お代官に黄金色のものを捧げるワルイ越後屋とは一線を画している。
さすがである!
人は自分の周りの人と繋がって安心していたいという、微妙な気持ちを持っているのだと思うが、
それを温かく包み込んでくれるような…
店はお客が育てるという典型のような…
不思議な空間だった。
この記事に猫は全く関係ない。
しかし、私が昨晩開けたトリスの蓋を、さっき子猫ちゃん達が楽しそうなおもちゃにしていたので、そうだ書こう!と思った次第。うっかり最後まで読んでしまった方には、ストロングゼロにトリスを入れて飲むことを、お詫び代わりに切にお薦めする。
カクテルみたいだから!